時は過ぎつつ

幼少の頃から、中学生まで、一学年一クラスで、18人という東京都では珍しい場所で育った。
授業は専ら、山に登って俳句を詠んだり、川で生物の観察をしたり、田んぼを借りて米を作ったり、その稲で草鞋を編んだり、辺鄙なとこなので、先生も変わった人が多かったような。
その頃からの幼馴染とはたまに集まり、当時の担任を交えて呑む仲。
連絡を普段しない兄弟の様で、一回集まれば、当時の雰囲気にすっかり戻れる仲で、そのような友達が、今でも居ることに感謝する。自由な発想で身体いっぱい遊んでいたあの時期があったので、今も頭は柔らかい方な気がする。
小学校の卒業式では、担任が涙しながら
『猿が人間の子供位に成長してくれた』と挨拶したくらい、自由奔放に育ててもらったんだなぁ。
高校の頃の友達は、多感で同じ時代を駆け抜けたので、自分が生きてる時代の最も影響を受ける事柄から派生した話が出来て今でも馬鹿笑いが出来るので、頼もしい。
大学の時の友達は皆、個性的で、自分の意見と技を切磋琢磨して、絞り混ぜ合わせてた。休む暇もなく。熱かったな。最近また大学の友達と繋がり、それぞれの道を歩んでいるのを見て、楽しい。
福生のチキンシャックで働きながら知り合った友達は、よく食べ、よく飲み、よく笑う。時に泣いたり、喜怒哀楽がしっかりしていて、お節介。
間違いないのは音楽が好きだということ。
プレイヤーもリスナーも自分の好きな形で音楽を楽しむ。
大人になってから知り合ったから、大人なんだけど、素直さが半端ないので、皆が皆親戚のようになれるけど、やっぱ大人っていうバランスが凄い。
対等に付き合うことに慣れてる。
年齢、肩書き問わず。
その間に、恋もした。
タイプはバラバラ。
でも、皆、自分の生き方に真っ直ぐな人だったので、その時その時、とても良い影響を与えてくれた。好きなことに対する姿勢は誰にも負けないよって感じなので、良い生き方のお手本になる人ばかり。

時は過ぎつつ。

人との関わりは変化し。

その途中。

色んなことを思い。

人の歴史に触れる。

去年は、有名な人、無名な人問わず、沢山の方が亡くなったことを、情報でも、身の上でも意識する年だったように思う。

意味など無いかもしれないが、

生きてる内は

共に生きて関わってる人の

歴史に沢山触れたいなと思う。

何に感動して

何に泣いて

何に笑って

何に調子に乗って

そうした中にあるドラマに

不思議な力があること

代わりのない

奇跡

そういうものを

共有すれば

少し心が優しくなれるんじゃないかと思う今日この頃。